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熊本地方裁判所八代支部 昭和34年(ワ)98号 判決

原告(反訴被告) 篠川勇

被告(反訴原告) 松本ツマ 外一名

主文

「上田家の祖先の祭など篠川勇氏にたのみますそれで私の財産全部(少ないけれど)篠川氏にゆづります。

橋本藤男氏の債権も家屋敷の権利もゆづります家屋敷は山崎町の土地を売り他人に一厘の補助も受けないで買いました、橋本氏のに貸した金も皆私のです増田氏の預りはちやんと袋に書いて置きました増田様には本当にお世話様になりましたその御恩がへしにどうしても致さねばなりませんが私が正式の結婚届を出さないのは富美子さんがきらいです、昭男さんが居つたらよかつたですけれどもこれも運命で御座いませうであなたは富美子さんの出世されるまで河江にお住みになつてもよう御座いますが富美子さんを河江に住ませることはおことわりします又河江から受取る家賃は篠川さんに御渡し下さい、私の荷物も皆私の家をつぐ人の物です。

昭和三十一年十月二十三日 上田たき

篠川勇様」なる書面は故上田タキにより作成せられた真正なる証書であることを確認する。

被告(反訴原告)等の反訴請求を棄却する。

訴訟費用は、本訴反訴を通じて被告(反訴原告)等の負担とする。

事実

原告(反訴被告)訴訟代理人は、本訴につき、主文第一項同旨及び訴訟費用は被告等の負担とするとの判決を求め、反訴につき、本案前の申立として、反訴原告等の反訴を却下するとの判決、本案につき、反訴原告等の請求を棄却する、訴訟費用は反訴原告等の負担とするとの判決を求め、本訴の請求原因として、

一、訴外亡上田タキは、元学校教員で子女なく、退職後は昭和二三年以来熊本市春竹町永本合名会社織物工場女子工員寄宿舎々監として勤務していたが、昭和三一年九月一一日病を得て熊本市中央病院に入院、次いで同年一〇月五日に熊本大学医学部附属病院に転院加療中、同月二四日に膀胱癌の手術を受けてその後の経過が悪く、同月二七日に心臓衰弱の為め同病院において死亡した。

二、原告(反訴被告)(以下原告と略称する)は、上田タキの教子にして特に同人の信頼厚く、長崎大学経済学部を卒業後明治生命保険相互会社東京本社に就職したが、上田タキは生前原告にその将来を托し、病状不安となるや原告の父訴外篠川改平に頼んで原告を東京より招き寄せ、手術の前日である同月二三日病床において自分の親戚には信頼出来る者がないから自分の遺産全部を貰つて祖先の祭祀をして欲しい旨後事を托し、請求の趣旨に掲載する書面(甲第一号証の二)(以下遺言書と称する)を上田タキ自らしたためて封筒(甲第一号証の一)に密封し、前記工場主の妻訴外永本ケサヲ及び同寄宿舎の炊事係訴外緒方登美恵等の立会の下に重要書類を包んだ風呂敷包と共に右遺言書を原告に手交し、原告が之を受け取るのを見て満足し、翌二四日の手術に臨んだ。

三、被告(反訴原告)松本ツマは上田タキの実父亡松本栄作の長男卯藏の二女、被告(反訴原告)松本泉は卯藏の三女に当る訴外松本チヨの子であるところ、前記遺言書の真正を争うから之が確認を求める為めに本訴に及んだと述べ、

被告(反訴原告)等(以下被告等と略称する)主張の抗弁事実を否認し、

反訴につき、まづ本案前の主張として、本件反訴は本訴の目的たる請求又は防禦の方法と牽連関係がないから不適法であると述べ、本案につき、反訴請求原因のうち前掲遺言書に、昭和三一年一〇月二三日付の熊本家庭裁判所の検認があること、右遺言書に上田タキの印が押していないこと、被告等の主張する各債権の存在、その債権証書を原告が所持すること、並びに被告等が上田タキの相続人である事実は認めるが、その余の点は否認すると述べ、

立証として、甲第一ないし第一〇号証(内第一、第一〇は各一、二)を提出し、証人永本ケサヲ、緒方登美恵、高木三千代、篠川改平、篠川たみの尋問を求め、原告本人尋問の結果を援用し、乙第一三号証、第一五ないし第一七号証、第二三号証は不知、第一八号証の一の日付は認めるが、その他は不知、その余の乙号証は成立を認める、第一二号証は訴外松本鉄雄に欺罔されて作成したものである。と述べ、

被告等訴訟代理人は、本訴につき、請求棄却、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、反訴として、別紙目録記載の債権が反訴原告等に帰属することを確認する。反訴被告は反訴原告等に右債権を表示する証書を引き渡せ、訴訟費用は反訴被告の負担とするとの判決を求め、

本訴の答弁として、請求原因事実のうち、第一項の事実、第二項中原告が上田タキの教子であつたこと、主張の遺言書が同人の手によつて作成されたこと、被告等の身分関係が第三項の如き事実、並びに被告等が上田タキの相続人であることは認めるけれども、その他の事実は否認すると述べ、抗弁として、(1) 原告は昭和三一年一二月二七日東京において、被告等の代理人訴外松本鉄雄に対し、遺贈に因る一切の権利を抛棄する旨の意思表示をなしたから、遺言書の真正なることの確認を求める利益がない。(2) 上田タキは生前、被告ツマの孫訴外松本ヒサ子を養子とする意思であつたから、遺言書の作成は同人の真意に基くものでなく、同人がその頃内縁関係にあつた訴外増田収作から財産を奪はれることを妨ぐ目的で作成したものであり、仮りに然らずとしても、原告及び訴外永本ケサヲ等が被告等親戚の不在に乗じて、師弟の関係を利用し、欺罔又は甘言を用いて作成させたものであるから、同人の真意によつて作成されたものではないと述べ、

反訴請求原因として

一、反訴被告は、前掲遺言書によつて上田タキの有する財産全部の遺贈を受けたものとして、昭和三一年一一月二二日に熊本家庭裁判所において検認を受けた。

二、然し乍ら本訴請求に対する抗弁(2) 記載の如き事由によつて、右遺言書は上田タキの真意に基いて作成されたものでない。

三、仮りにそれが同人の真意に基いて作成されたものとしても、右遺言書には上田タキの押印なく、所定の方式を具備していないから遺言書として無効である。

四、更に百歩を譲つて有効な遺言書と認められるとしても、本訴請求に対する抗弁(1) 記載の如く、原告はその後遺贈の抛棄をしたから遺贈により一旦受けた上田タキの財産は、同人の死亡時に遡つて上田タキの相続人である被告等に帰属した。

従つて本件遺言書に基き別紙目録記載の債権が原告に帰属するいはれはないから、同人の相続人である被告等に之が帰属することの確認と、原告の占有するその債権を表示する証書の引渡を求める為めに反訴に及んだと述べ、

立証として、乙第一ないし第一七号証、第一八号証の一ないし四、第一九号証の一、二、第二〇号証の一ないし三、第一二号証の一、二、第二二号証の一ないし五、第二三ないし第二五号証、第二六号証の一ないし五を提出し、証人松本鉄雄(一、二、三回)小林マキ、増田収作、松本フジエ、宮崎カツエ、宮崎タツ、松本輝雄、松本礼子、松本ヒサ子の尋問を求め、被告松本ツマ本人尋問の結果を援用し、甲第二、三号証は不知、その余の甲号証は成立を認めると述べた。

理由

まづ本訴請求の当否につき考えて見る。

被告は、原告が遺贈の効果を一切抛棄したから、遺言書の真正の確認を求める法律上の利益がない旨主張するが、遺贈の抛棄自体双方の間に争があるばかりでなく、遺言書により受遺者と認められる原告が、遺言書の真正を争う被告等を相手にその確認を求める法律上の利益があることは謂うまでもない。

遺言書が上田タキの筆になる事実そのものは当事者間に争がないところが被告は、遺言書の作成は同人の真意によるものではないと主張する。

証人永本ケサヲ、緒方登美恵、篠川改平の各証言それに原告本人の供述を彼是綜合すると、請求原因第一項記載の如き事情により入院加療中の上田タキは、同人の教子で予て心から信瀬し、出来うれば養子として迎え入れたかつた原告を就職先の東京より招き、手術の前日である昭和三一年九月二三日その病床において、手術の結果万が一自分が死ぬようなことがあつては必残りであるから、その時は上田家を継いで欲しい、ついては少いけれども自分の遺産をもらつて欲しい旨申し伝え、病床に俯伏せのまゝ便箋紙に鉛筆をもつて遺言書(甲第一号証の二)を認めて、封筒(同号証の一)に密封し表紙に篠川勇と明記の上、重要書類を入れた風呂敷包や実印と共に之を原告に渡したところ、上田タキの病床にあつて看護に当つていた内縁の夫訴外増田収作にこのことを詰問されて、後日事の縺ることを慮かつて、訴外永本ケサヲ、緒方登美恵立会の下に、改めて遺言書を実印や重要書類を包んだ風呂敷包と共に上田タキ自ら原告に手交した事実が明らかである。その際上田タキは常日頃と何等変るところなく、正常な状態において右の行動に出た事実も亦窺い知られるから、遺言書の作成が真意に基いたものであつたことは、何等疑う余地なく、被告等主張の抗弁(2) の事実を認めて、右認定を覆すことの出来る反証はない。従つて原告の本訴請求は正当である。

つぎに、反訴の本案の当否について考える前に、その本訴請求との関連性の有無について考察する。本訴反訴の各請求の基礎が何れかの点で重要な共通点を有する以上、両請求は関連性を有するものと解せられるが、遺言書の真正を主張する本訴と、之を無効とし遺言の対象となつた債権が遺言者の相続人である被告等に帰属することを確認し、合せてそれを表示する証書の返還を求める反訴とは、両立することの出来ない関係にあるとはいえ、請求の基確は重要な共通点を有するから当然関連性を有するものと解する。

従つて本件反訴は適法であるから、進んで本案の当否につき考察する。被告等が上田タキの相続人であることは双方争がないから、本件遺言書が無効であるならば、その遺産は相続人の被告等に帰属することは当然である。そこで遺言書の効力について検討する。

遺言書が上田タキの真意に基かないものであるから無効である旨の被告等の主張が理由のないことは前述の通りであるが、遺言書に上田タキの印が押していない事実は双方争がないので、押印を欠く遺言書の効力について考察する。

遺言書に一定の方式を要求する法意は、大凡遺言は頗る重要な事項を内容とするものであるから、遺言者も慎重な態度で遺言に臨むことが望ましいし、更に遺言の効力の生ずるのはその死亡後である関係上、利害関係人の間に深刻な紛争を残す虞が多いので明確にし所定の方式を具備する場合にのみ遺言者の真意によるものと認めんとするにある。自筆証書によつて遺言をするには、遺言者がその全文、日附及び氏名を自書する外に、これに印を押さなければならないことは法の明記するところである。遺言者の押印が自筆証書の絶対的必要々件にして、之を欠く遺言書は効力を生ずる余地がないものと解するならば、押印のない本件遺言書が無効であることは勿論である、然し乍ら、そのように解することは正当でない。とかく法律に従つて日常生活を律することに不馴れな我国の現状に鑑みれば方式の欠如が遺言者の真意の不明確を来さない限り、条文の定める方式を緩和して、遺言者の真意を尊重する必要がある。印の使用が重要視される我国の慣行上、一般に印が押してあれば本人の意思を明確に表しているものと認められることが多いであらうけれども、遺言者がその全文、日附及び氏名を自書し、更に証拠によつて遺言者の真意に相違ない事情が判明する限り、押印のない一事のみを以つて遺言者の真意でないと解するのは相当でない。氏名の自書は容易に他人の模倣を許さず、本人の真意に基くものであることを明確にするには十分であつて、却つて押印こそ他人により容易になされる可能性のあることを考えれば、氏名の自書に加えて、押印を厳格に要求する合理的根拠はない。従つて遺言者である上田タキの押印を欠く本件遣言書も無効に非ずして、適法に効力を生じたものと解するのが相当である。

更に被告等は、遺言が有効であつたとしても、上田タキの死後原告は、被告等の代理人である訴外松本鉄雄に対して、遺贈の抛棄をしたから、別紙目録記載の債権は被告等に帰属する旨主張するけれども、本件遺贈の如き所謂包括遺贈の抛棄は、所定の期間内に家庭裁判所になして始めてその効力が生ずるものであるから、被告の代理人に対し抛棄する旨の意思表示ををなしたからといつて、適法な遺贈の抛棄がなされたとは認め難い。

以上の理由により、遺言書が効力を生じないことを前提として、別紙目録記載の債権が上田タキの相続人である被告等に帰属することの確認を求め、右債権を表示する証書の返還を求める被告等の反訴請求は、その余の点について

判断するまでもなく失当である。

そこで、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して主文のように判決する。

(裁判官 田畑常彦)

別紙〈省略〉

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